11:最後の日記

 

 

◇◆◇

 

 

親愛なる、ウィップ

 

久しぶり。一週間ぶりかな?こんなにキミに会わなかったのは初めてだね。子供の時、高熱で三日間キミに会いに来れなかった事があったけど、今回はそれを優に上回ってしまったね。

 

寂しかった?そうだよね。キミには僕しか居ないのにね。ごめんね。

でも、今日はもっと大事な話があるんだ。

 

今日でキミにお別れを言わなければならなくなった。

僕は明日、敵国であるバーグに人質として渡る。最後の日記で、僕が君に「どうしたらいい?」って泣きついていたじゃない?

あの後、僕はようやく決心がついたんだ。

 

僕はこのスピルの安寧の為に身を捧げる事にしたよ。だって、僕は王太子だからね。そのくらい当然だよ!

 

……嘘だろって?

あぁ、もう。キミには本当に何でもバレちゃうんだね。そうだよ、その通り。僕はスピルの国民の為なんて、これっぽっちも考えちゃいないよ。

 

でも、いいでしょ?結果は同じだもの。最後くらい、立派な王太子みたいな振る舞いをさせて。そうでなければ、僕は何の自負も持てなくなる。だって、今の僕の手元に残っているのは「大儀をまっとうした立派な王太子」という肩書だけなのだから。

 

実はお父様に……陛下に僕がバーグに渡らせてと伝えた時ね。僕はほんの少しだけ期待したんだ。

「お前を敵国に……バーグになんてやれない」って。そう言って止めてくれるんじゃないかって。だって、フルスタにはそう言ったらしいじゃない。だから、僕も期待しちゃった。バカだよね。やめとけばいいのに。

 

陛下は僕に言ったよ。

「そうか。行ってくれるか」って。少し、ホッとした顔をしてた。

 

そりゃあそうだよ。フルスタと僕じゃ、全然比べ物にならないだろう事は分かっていたのに。結局、僕の事を本当に「尊い」って思ってくれている人なんて誰も居なかったって事だよ。

 

お陰で、色々とスッキリした。

これで僕は、僕の望みの為だけにバーグに渡る事が出来る。

ウィップ、今まで本当にありがとう。君が居てくれたおかげで、僕はちっとも寂しくなかったよ。

 

え、強がりはやめろって?

ふふ、本当だよ。

 

本当は君も一緒に連れて行きたいけれど、それは出来そうもないから。……君の入っている引き出しの鍵は、ケインに渡して貰おうと思う。もし、彼がキミの事を未だに“友達”だと思ってくれていたら、きっと迎えに来てくれるだろうから。

 

それまで、一人で寂しいかもしれないけれど我慢するんだよ。

じゃあ、そろそろ準備があるから。ここまでだ。

ウィップ、今までありがとう。僕の大切な友達。

 

じゃあね。

 

 

◇◆◇

 

 

「……ラティ」

 

 薄暗い部屋の一室で、一人の黄金色の髪色を持つ若い男がベッドの上で酷く絶望に満ちた様子で項垂れていた。薄い肌着から覗く男の体には、至る所に傷の痕が窺える。しかし、その多くが古傷のようで、今や肌にこびり付くシミのようになっている。

 

「なぁ……ラティ」

 

 腰かけて一冊の本をパラパラとめくる。すぐ脇には、深紅の革製カバーに包まれた本が乱雑に散らばっていた。その数、全部で十三冊。全て同じ装丁をしている。

 

「ラティ……何もするなって言っただろうが」

 

 なのに、どうして。

 そう、男は唸るような声で呟きながらにつつまれた十三冊の日記帳へと目をやった。よくもまぁ、こんなに書いたモンだ、と男はぼんやりとした思考の端で思う。どのページも中身はぎっしりと文字で敷き詰められ、その中には二つの名前が必ず登場していた。

 

 この日記帳は全て同じ書き出しで始まる。

 

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親愛なる、ウィップ

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 ウィップ。それは、この日記帳に付けられた名前だ。どうやら持ち主は、その「ウィップ」という架空の人物に語りかけるように日々の出来事を書いていたようだ。

 まるで自身の思考を俯瞰し、冷静に見守るように。

 

「ラティ、お前の望みって何だ?俺とずっと一緒に居る事じゃなかったのか?」

 

 そしてもう一つ。このウィップ以上に登場する名前が途中から現れる。

 

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ケイン、どうか死なないで。

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 最後の日記帳の……本当に最後のページにサラリと記されたその言葉に、男は目元を覆った。そして、震える声で日記帳に語りかける。

 

「……なぁ、ラティ。どうしてだよ。あんなに怖がりで、他人の痛みすら自分のモノのように感じるお前に、バーグに渡る程の勇気なんて無い筈だろう。なのに……どうして、いつもお前は急に大胆になる?」

 

 しかし、いくら語りかけても日記帳は何も答えてはくれない。そりゃあそうだ。彼の手にあるのは“ウィップ”と名付けられただけの、ただの日記帳。答える術を持てる筈もない。彼の掠れた声は薄暗い部屋の中に染み入るように消えた。

 

「ラティ、ラティ……可愛い、俺のラティ」

 

 必ず、迎えに行こう。

 男の小さな呟きから一年……世界史上最も悲惨な戦争が幕を開ける事は、この時誰も知る由もない。