(3)

 

◇◆◇

 

「ひゃーー、今日も疲れたぁ」

「今日は一際お客さんが多かったもんね。はい、どうぞ」

 

 客も捌けて閉店した店内。

 カウンター席に上半身を預け、グッタリとする田尻さんの前に、俺は準備していたホットサンドとコーヒーを置いた。その瞬間、それまで力無く折れていた体が、ピシャリと持ちあがる。

 

「っはぁ!ますたーのごはんとコーヒー!」

「今日はよく我慢したねー。偉かったよ、田尻さん」

「あははー、あのイケメンのお客さんが来なかったら、ひゃくぱーぶっ飛ばしてました」

「……」

 

 やっぱりか。

 彼女特有の、あっけらかんとした物騒な言葉を聞きながら、俺は汚れたカップを手早く洗っていく。まだまだシンクには洗い物が数多く残っている状態だ。あと、在庫のチェックに明日の準備、レジ締めに、収支の計算。

 あぁ、一体今日も何時に帰れる事になるのやら。

 

「はー。私、ますたーのコーヒーだけは、ブラックで飲めるんです。おいしーから」

「ふふ、それは良かった」

 

 彼女は素直だ。客に対しても、店長である俺に対しても。この子の辞書に「お世辞」なんて言葉は載って無い。きっと、最初のページにくるのは「くたばれ」ではないだろうか。

 

「最近、すぐお客さんでいっぱいになりますねー」

「田尻さんにお店のSNSの更新を任せて正解だったなぁ。ありがとね」

「ふふー!だって、この金平亭は見た目がレトロー?だから!こういうお店は女の子はみーんな好きです」

「へぇ、そうなんだ。ふーん、レトロねぇ」

「こういう古クサい感じが、レトロー?なんだと思います!」

「古臭い……」

 

この店の店主である俺を前にあっけらかんと言う彼女の言葉には、歯に絹を着せるなんて行為は存在しない。彼女はウソがつけないので、彼女の歯はいつも剥き出しだ。

 まぁ、いつもの事なので気にしない。気にしても仕方がない。

 

「あーぁ。でも、ちょーっと、最近は忙し過ぎるかなぁ」

「……確かにねぇ」

 

 カウンターに両肘を突きながらチラとこちらを見てくる田尻さん。いや、キミの言いたい事は痛いほどよくわかる。

 

「ごめんね。今、求人を出してるんだけど……中々人が来なくて」

「ココ、時給やーっすいですもんねー」

「っぐ」

 

 ほんとにこの子は素直だ。

 それに、時給が安いのは事実だ。確かに、最低賃金に毛の生えたような時給じゃ、飲食店なんて誰も応募してくれないだろう。

 分かっている。分かっているのだが!ない袖は振れないじゃないか!だいたい、新しいバイトを入れるのも、本当ならギリギリ無理なラインなのに。

 

「時給安くて、ごめんねぇっ!」

「へ?何でますたーがあやまるんですか?高校生の私を雇ってくれたのは、コンビニ以外じゃここだけでした。私はありがとうって思ってますよ!」

 

 そして、コンビニは二日でクビになったんだもんな。お客さんに「くたばれ!」って叫んだせいで。そして、例に漏れずうちでも三日目に「くたばれ!」を発動したもんね!あの時はどうしようかと思ったよ。

 

「もう一回、求人を掲載してもらおうかな……」

 

 いや、無理だ。

 求人広告費なんて最早、欠片も捻出できそうもない。店をやり始めて初めて分かった事。それは「求人」が最も金とリスクを伴う金食い虫だったって事だ。

 

「でも、私もあと一年しかここには居れないから、ますたーも次のバイトを探さなきゃですね」

「田尻さんも、もう高校三年生だもんねぇ。早いなぁ」

 

 かくいう、俺も仕事を辞めて気付けば二十七の年を迎えている。ここまで本当にあっという間だった。そう、汚れた皿を洗う手を止める事なく感慨にふけっていると、「あのぉ」とカウンターから気づかわしげな田尻さんの声が聞こえてきた。

 

「こーじーさんと仲直りして、戻って来てもらったらダメですか?」

「……田尻さん、空いたお皿貰おうか?」

 

 こーじーさん。

 田尻さんの口から出てきた名前に、俺はその一切を無視して空いた皿に手を伸ばした。そんな俺に田尻さんは「ごめんなさい」と俯きながら皿を差し出してくる。いけない、大人気なかった。彼女に悪気なんて一切ないのに。

 

「った、田尻さん。コーヒーのお替りは」

 

 いる?

 そう、俺が口にしようとした時だ。カランと店のベルが鳴った。おかしい、入口には「クローズド」の立て看板をかけたはずなのに。そう、俺が暗くなった店の入り口へと目をやった時だった。

 

 夜なのに、なんだか視界の先が明るくなった気がした。

 

「あの、こんな時間にすみません」

「あ、キミは」

 

 そこに立っていたのは昼間の客だった。鮮やかで優雅な、あの

 

「イケメンやぁ」

「田尻さん、お客様だよ」

「へ?そうなんですか?お店は終わりましたよ?」

 

 店が閉まったらお客様じゃないじゃないですか。と、事もなげに言ってみせる彼女に、俺は苦笑せざるを得なかった。

 客かどうかはおいといて、殆ど初対面の人間を相手に「イケメンやぁ」はないだろう。いや、まぁ彼女にとって「イケメン」は純粋な褒め言葉だから仕方がないのかもしれない。

 

「どうされました?忘れ物ですか?」

「あ、いえ。そうじゃなくて……表にあった張り紙を見て」

 

 彼の癖なのだろう。昼間に店に来た時同様、微かに首を傾げながら目を細める彼の仕草は、やはり愛嬌があった。その立ち姿はスラリとしていて、俺より身長も随分高い。そんな、小柄とは言い難い体躯をしているのに、苦も無く「愛嬌がある」と思わせるだけのモノを彼は持っていた。

 

「張り紙……あ、もしかして」

「バイト募集って書いてあるヤツです。もしかして、もう募集締め切りました?」

 

 彼からの予想外の言葉に、俺と田尻さんは大いに目を見開いて目を瞬かせた。

 

「っし、締め切ってません!」

 

 俺は手についていた泡を急いで洗い流すと、エプロンの裾で乱暴に拭った。まさか、丁度求人について話していたタイミングでアルバイト希望者が来るとは。

 

「あっ、あっ。どうしよ。今から面接してもいいですか?」

「え、あっ。はい、もちろんです。でも、履歴書とか……まだ無くて」

「それ、後でいいから!あっ!こっ、コーヒー淹れるね!」

「あの、客ではないのでお構いなく」

「す、すぐ淹れるから。好きな席に座って待っててください!」

 

 お構いなくと言われても、もう嬉し過ぎて構ってしまう。こんな素敵な男の子がアルバイトの募集に名乗りを上げてくれるなんて。

 

「イケメンさん。マスターのコーヒー美味しいので飲んだ方がいいです!」

「あ、それは昼間に飲ませて頂いたので、分かります。凄く美味しかったです」

 

 いつの間にか、コーヒーカップを持った田尻さんが、イケメンの彼を席まで案内していた。しかも案内するだけじゃなく、一緒に隣に座ってニコニコと話し始めている。おい、店長を差し置いて何やってる。

 

「ここで働くとですね、このおいしーコーヒーが毎日飲めます。それがこの店の良いトコです!」

「へぇ、そうなんですね」

「そう!でも、ここの時給めーっちゃ安いです!大丈夫ですか?」

「あ、それはチラシを見たので……」

「でも、オニーサン、大学生ですよね?なのに、あのお給料で良いですか!?イケメンだし、もっと他にいーっぱいバイト先あると思うのに!何でここをバイト先に選んだんですか!」

 

 おいおいおーい!何を勝手にバイトがバイトの面接を始めてるーー?

 いや、まぁ彼女の事だ。面接をしている気なんてサラサラないに違いない。しかし、質問の内容が完全に面接のソレと丸被りしてるじゃないか!

 

 そう、俺が悪気なくにこにことお喋りを続ける彼女に、制止の声をかけようとした時だ。

 

「今日、ここで飲んだコーヒーが……凄く美味しかったので」

「っ!」

 

 そう、ほんのりと頬を染めながら答えた彼の視線は、迷いなく〝俺〟へと向けられていた。俺のコーヒーが美味しかったから。そう、彼は確かに言った。俺のコーヒーが、美味しかったからって……!

 

「採用します!」

 

 脳から指示が出る前に、俺の口は勢いよく言葉を放っていた。

 

「えっ、もう?面接はいいんですか?」

「はい!」

「わー!初めてバイト仲間が出来たー!うれしー!」

 

 戸惑った表情を浮かべる彼に、俺は急いでカップに注ぎ終わったコーヒーを手に駆け出した。俺のコーヒーを美味しいと言ってくれた彼に、すぐにでも俺のコーヒーを届けたかった。

 

「はい。これ飲んで!」

「あっ、ありがとうございます」

 

 優雅で品の良い彼の前へと腰かけた。遠目に見てもイケメンだったが、こうして目の前にすると更にイケメン具合が増した。

 

「格好良いなぁ」

「は?」

「いや、何でもないです……」

 

 凄い。重箱の隅を突けないか試してみたが、無理だった。彼の〝格好良い〟には一切隙がない。そのせいで思わず、田尻さんのように口から本音が漏れ出てしまった。いけない、俺はもう大人なのに。

 

「俺はこの店の店長をしてます青山霧(あおやま きり)です。これからよろしくお願いします」

「私は田尻(たじり)ミハルです!高校三年生です。よろしくおねがいしまーす」

「あっ、俺は寛木優雅(くつろぎ ゆうが)です。大学四年です。どうぞよろしくお願いします」

 

 四月中旬。

 こうして俺のお城【金平亭(こんぺいてい)】に、もう一人アルバイトの男の子が入った。

 

 

 

 それは、五月の〝あの日〟から、ちょうど一カ月前の出来事だった。