(8)

 

◇◆◇

 

 

 俺が泣き虫なのは、俺が悪いワケじゃない。

 

——–この泣き黒子が泣き虫を連れてくるのか?

 

 そう、この泣き黒子が悪いんだ。全部、そうだ。

 

「あぁ、マスターってすぐ泣きますよー。ゆうが君はまだ見た事なかったですか?嫌な事とかあると、仕事終わりとか、休憩中とか……よく一人で泣いてます!」

「はぁ?」

 

 俺が寛木君を前に号泣した次の日。

 その日もお客さんは満員御礼ではあったものの、クレーマーは多いは、食器は割れるわ。そのくせ、一日中寛木君からの何か言いたげな視線を向けられ続けるわで、もう大変だった。

 

「泣いてるってさぁ、ソレ。どういうイミ?」

「そのまんまです!マスターは泣き虫なので、ちょっと何かがあると泣くって事です!」

「……」

 

 そして、現在。

 俺はと言えば、カウンターで賄いを食べながら俺の話題で不穏な盛り上がりを見せる寛木君と田尻さんを横目に、在庫のチェックをしている所だ。いやいや、バイト同士のお喋りに店長の俺が口を挟むのはよくない。さぁ、仕事をするぞー。

 

「えーっと、注文が必要なモノはっと。……あ」

 

 あ、寛木君用に買った紅茶のティーバッグがもう無い。そりゃあそうだ。色々とヤケクソだった俺は、今日の客からの紅茶の注文を全部コレで出してやったのだから。

 チクショウ。確かに毎日来てる癖に、あのウルサイ常連ババァですら紅茶の違いに気付いてなかった。なんだよ、俺の海外からの茶葉の仕入れの意味よ!

 

「マスターさぁ」

「……なんだよ」

 

 丁度、苦虫を噛んだタイミングで寛木君が話しかけてきた。顔を見なくても分かる。寛木君は、また「ホントの事」を言うつもりだ。

 

「バイトの女子高生の前でも泣く程のメンタルなんて、店舗経営向いてないよぉ?」

「……別に、いつも泣いてるわけじゃ」

「昨日だって俺と話してる途中でビービー泣き始めて。ったく、何が悲しくて自分より年上の男をあやしてやんなきゃいけねぇのよ。ありえねぇからね?男が泣くなんてさ」

「ぐ」

 

 事実が極まり過ぎてグウの音も出ない。確かにその通りだ。昨日は寛木君に、店の経営の事をアレコレ言われて、耐えきれなくなった俺は悪癖を晒してしまった。

「泣き虫」という、大人になっても一向に治ってくれなかった俺の「悪癖」を。

 

「ゆうが君!」

「ん?何、ミハルちゃん」

「男の人だって泣きます!別に変な事ないです!」

 

 すると、それまで賄いのホットサンドとコーヒーを口にしていた田尻さんが声を上げた。そんな彼女に寛木君は、頬杖を突きながら田尻さんへと小首をかしげてみせる。

 

「ミハルちゃんは引かない?大の大人が恥も外聞もなく泣く姿なんて」

「うちはお父さんは、私が小学生の頃。パチンコでお給料を全額溶かしては、布団の中で泣き喚いてました!だから、別に大人の男の人が泣いてても変なんて思いません!」

「……それはそれはぁ」

 

 サラリと口にされた、なかなかな家庭環境に、寛木君はヒクりと喉を鳴らした。まぁ、育ちの良さが透けて見える彼からすれば、田尻さん家の家庭はなかなか異世界だろう。

 

「それに、マスターは良い人です!私はいつもありがとうって思ってます!」

「田尻さん……」

 

 ヤバイ。既にその言葉で泣きそうになってしまっている。どうしよ。嬉しい。けっこう本気のヤツだ。でも、ここで泣いたら更に寛木君にバカにされる。これはどうにか堪えないと。

 

「っぅ……ぐ」

 

 そう、俺が空になったティーバッグの袋を握りしめていると、寛木君が再びとんでもない事を言いだした。

 

「ミハルちゃぁん?そんな事言ってると、マスターに誤解されるよぉ」

「何をですか?」

「ミハルちゃんが、自分の事好きなんじゃないかって」

「はぁっ!?」

 

 一気に涙が引っ込んだ。ちょっ!一体何を言いだすんだ!

 

「だって、このマスター。俺がゲイだって嘘ついたら、自分の事好きなんじゃないかって勘違いしてきたくらいだからね?あんまり優しくすると、この人コロっといっちゃうよ」

 

 寛木君の言葉に、田尻さんの目が大きく見開かれる。

 そんな事言われたら田尻さんが完全に引くだろうが!これはあんまりにも洒落にならない!

 

「田尻さん!大丈夫だからね!?お、俺、そんな勘違いしないから!あ、あの!ほんとに大丈夫だから!」

「やば、焦り方がマジ過ぎて逆に本気っぽいんですけど」

「ちょっと寛木君は黙ってて!」

 

 横からちょっかいばかりかけてくる寛木君に、俺は更に焦った。

 どうしよう。これで田尻さんから距離を置かれたり、はたまたバイトを辞めたりなんかされたら……!

 そう、俺がおそるおそる田尻さんへと視線を向けた時だ。

 

「ゆうが君はゲイですよね?」

「は?」

「ゆうが君は男の人が好き、で合ってますよね?なんで嘘を吐くんですか?」

「は、なにを……」

 

 田尻さんのなんとも安穏とした声が、寛木君を追い詰める。そう、完全に追い詰めていた。なにせ寛木君からは優雅なのんびりとしたオーラは消え、今やその表情をハッキリと引きつらせている。

 

 お陰で、先程までの焦りが嘘のように消えた。ちょっと面白い。

 正直者VS正直者。

 この戦いの行方やいかに。

 

「私は将来、夢の国でダンサーになるのが夢です!」

「え?な、なに。急に……こわ。え?ミハルちゃん、違う星から来ちゃった系だったの?」

「高校を卒業したら東京のダンススクールに行く予定です!だから、SNSで同じダンサー志望の子といっぱい繋がってます!」

「へ、へぇ」

 

 脈絡なく田尻さんの夢の話が語られ始める。

 寛木君はと言えば田尻さんの話に上手く乗り切れずにいるようだ。完全に戸惑っている。チラと俺の方へと視線が向けられるが、俺は肩をすくめるだけにしておいた。なにせ、田尻さんのコレはいつもの事だ。ここまできたら、最後まで聞くしかない。

 

「通話とかもするし、たまに、休みの日には遊んだりもします!楽しいです!」

「あ、そう。……いいね、青春かよ」

 

 戸惑いながらも、きちんと相槌を打つ寛木君の姿は、何だか急に年相応……というか、少しだけ幼く見えた。

 

「それで、ダンサーの男の子はけっこうゲイの子が多いです!」

「……ん?」

「ゆうが君は、その子達と同じニオイがします!なので、隠さなくていいです!男の人が好きな男の人は、けっこういっぱいいます!悪い事なんかいっこもないです!」

 

 へぇ、そうなんだ。知らない世界だ。でもまぁ、田尻さんの言う通りだ。悪い事なんかいっこもない。

 

 田尻さんの話に、俺は純粋に頷いてしまっていた。そう、田尻さんの話は、最初こそ何の脈絡もないように感じるが、最後にはきちんと戻って来てくれるのだ。それに、いつも本質をきちんと理解している。だから、彼女の話はきちんと最後まで聞くようにしている。

 

「ゆうが君、マスターは本当に良い人だから隠さなくていいですよ!」

「な、なっ!」

「ね、マスター?」

 

 そう、にこにこと田尻さんが俺に向かって尋ねてくる。どうやら、今回の勝者は田尻さんだったようだ。というか、端から勝負になってない気がする。

 俺はと言えば、昨日同様にハッキリとした焦りを表情に浮かび上がらせてくる寛木君に、なんだか面白くて空になった紅茶の袋を掲げて見せた。

 

「寛木君、紅茶。無くなったから、今日は俺のコーヒーでもいい?」

「……あ、いや」

「何だよ。昨日は好きって言ってくれたじゃないか」

「っ言ってねぇし!不味くないって言ったんだよ!」

 

 わざと揶揄うように言ってやる。これまで散々おちょくられてきたんだ。少しくらいやり返したって罰は当たらないだろう。

 

「いやいや、好きって言ってくれたような気がするんだけどなぁ」

 

 更に俺がわざとらしく言ってのけると、次の瞬間、寛木君の姿から「優雅さ」が一気にかき消えた。

 

「は?俺は別にマスターなんか好きじゃねぇし。つか、タイプから全外れだし。ありえねぇんだけど」

 

 そう、完全にドン引いた表情で吐き捨てるように口にされた言葉に、俺は思った。

 

「いや、あの。俺じゃなくてコーヒーの事……なんだけど」

 

 寛木君はやっぱり、正直者だと。