(30) 12月:マスターの決断

 

 十二月中旬。

 寛木君に、店の合鍵を渡してから三カ月近く経過した。

 

 

「はー、もう今年も終わりかぁ」

 

 あれから、本当に色々あった。

 俺は、静かな店内でそれぞれ好きに過ごす客を眺めながら思う。

 

「なんか、爺ちゃんの店みたいだ」

 

 喫茶 金平亭は今日も無事に店を開ける事が出来た。

 

 

◇◆◇

 

 

「いらっしゃいませ。あ、橘さん」

「マスター。いつものもらえる?」

 

 カランと店の戸を鳴らしながら入ってきたのは、二か月程前から店に来てくれている橘さんだった。

 客はいつから〝常連客〟になるのか。きっと明確な定義なんてないのだろうが、俺の中で彼はもう〝常連客〟だった。

 

「季節のブレンドとエッグタルトですね。承知しました」

「今のブレンドは何?」

「コスタリカの深入りです」

「へぇ、ソレってどんなの?」

 

 そう、軽い調子で尋ねてくる橘さんは、駅近くの保険会社で働いているサラリーマンだ。人好きのする笑みとピシャリと着こなしたスーツは、どこからどう見ても営業マンっぽかった。というか、営業マンだ。なにせ、商談で何度も店を使ってくれている。

 

「味はしっかりめにビター感があって、後からくるコクと甘みが、この寒くなった時期によく合うんですよ」

「いいね、楽しみだな」

 

 しかも、どうやら爺ちゃんが居た時にこの店でバイトをしていたらしい。爺ちゃんがバイトを雇っていたなんて全く知らなかった俺は、最初にそれを聞いた時はかなり驚きだった。なにせ、爺ちゃんは孫の俺から見ても、かなり偏屈な人だったから。

 

——–今日はこれから病院に行く。いつ帰って来れるか分からんから、もう閉める。帰れ。

 

 客に対して、平気でそんな事を言う人だった。それでも、爺ちゃんが居た頃の客は、そういうトコロも含めて〝金平亭〟だと受け入れて、苦笑しながら「はいはい」と帰っていった。店が客で満席になる事はなかったが、いつ店に行っても見知った客が誰かは必ずいる。金平亭はそんな店だった。

 

「こないだの、あのハロウィンブレンドってヤツも良かった」

「ハロウィンブレンド……あぁ!ニカラグアの浅煎り!」

「うん、あれも美味しかったよ」

 

 橘さんは店でバイトしていた事もあって、コーヒー豆の事も楽しそうに聞いてくれる。それが俺には嬉しかった。なにせ、豆の話なんてしても、これまでは誰も分かってくれなかったから。

 

「あれは、パカラマっていう珍しいコーヒー豆を長時間発酵させてるので、トロピカルフルーツを甘いシロップに漬け込んだ華やかな香りになってて、それで」

 

 だから、橘さんが来ると俺はついつい話し込んでしまう。そうやって、俺がカウンターから身を乗り出さん勢いで橘さんに話し続けようとした時だった。

 

「あの。マスター、追加注文が来てます」

「っは、あ。寛木君!えっと、ハイ!」

 

 後ろからピシャリとかけられた声に、俺はビクリと肩を揺らす。

 

「あんまりお客様にダラダラとコーヒーのうんちくをたれないでください。橘さんも迷惑ですよ」

「ハイ、スミマセン」

 

 サラリとした笑顔で見下ろしてくる寛木君に、俺はヒクリと表情を引きつらせた。あ、コレ完全に怒ってる笑顔だ。わかる、わかるよ。だって、普段寛木君はこんな笑顔で俺を見ない。

 

「俺は別に楽しいから大丈夫だよ、寛木君」

「……橘さん!」

「……」

 

 あぁっ、橘さん!優しい、優し過ぎるっ!

 すると、そんな橘さんの言葉など聞こえなかったと言わんばかりの様子で、寛木君は更に深い笑みを浮かべた。こわ。

 

「橘さん、あとでメニューをお持ちしますので。何か必要な時はいつでもおっしゃってください」

「っふふ、相変わらず仲が良いな」

「……まぁ、悪くはないです」

 

 何故か最高の笑みをヒクリと強張らせた寛木君に対し、橘さんは「お邪魔して、ごめんね」と笑みを笑うと、いつもの壁際の席へと腰を下ろした。

 

「まったく、すぐにお喋りに夢中になる。マスター、アンタは子供かよ」

「スミマセン」

 

 橘さんが居なくなった途端、先ほどの丁寧さなど一切消した寛木君の不機嫌な声が、ズケズケと俺へと向けられる。

 

「客に気持ち良く喋らせるならまだしも、自分が気持ち良く喋らせてもらってどうすんだよ。このバカ」

「ごめんってば」

「だいたい、少し親しい常連客が増えたからって調子に乗んな」

「あぅ」

 

 もう、ぐうの音も出ない。

 確かに、寛木君の言う通り、二カ月前から少しずつ店に新しい客が入り始めた。今では、店の中は仕事帰りのサラリーマンやOL客などでちらほらと席が埋まるまでになっていた。

 

 それもこれも、全部寛木君のお陰だ。

 

——–この店、ターゲットをサラリーマンに絞ってもいいかもしれない。

 

 全ては、寛木君のその一言から始まった。

 

 この二カ月、本当に色々あった。

 店内改装に、営業時間の変更。商店街の個人商店からのフード商品の仕入れ。SNSではなく広告宣伝はチラシのポスティング。豆の直接販売。

 などなどなどなど。ともかく寛木君の言葉を受け、俺は自身の足と体を存分に動かしまくった。

 

 そしたら、いつの間にか店の客層はガラッと変化し、気付けば十二月になっていた。

 

「別に、調子には乗ってないよ……」

「いいや、乗ってるね。橘さんだけじゃない。ちょっと名前を覚えてもらえたからって、はしゃぐなっての。まだまだこれからってのに、気ぃ抜くのが早すぎ。そういうツメの甘さが赤字を産むんだよ」

 

 寛木君のごもっともな言葉が、俺に容赦なく降り注ぐ。まったくもってその通りだ。

 

「……ごめん」

 

 一体どの方策が功を奏したのか。最早、俺には分からない。分からないくらい、金平亭は様々な試行錯誤を繰り返してきた。その殆どはこの寛木君が客の様子を観察し、思考を巡らせて得たアイディアだった。

 

——–よし、まずは店の中テーブル席を減らそう。んで、個人席を増やす。

——–営業時間も、夜深めの時間まで開けてみようか。

——–フードの仕入れは商店街から卸してもらおう。その方が関係性も構築できるし、代わりにうちのコーヒーを店に置いてもらえるかもしれない。

 

 そして、少しずつ新しいお客さんが店の戸を開く度に、俺はやっと理解した。

 

——–考えて、試して、検証して。また、考える。この繰り返しが商売だよ。

 

 俺はもっと早くにコレをしなければならなかったのだ、と。