(5)

 

 

——今後、貴方は今後必ず、私達王族の力を……私を必要とする時が来る。そしてその時、私には「兄」が必要なのです。

 

 嘘偽りなどない一切無い瞳でこちらを見つめてくるフルスタ様に、俺は息を呑んだ。

 

——泰平の政治において、必要な「剣」こそ兄のような人間です。私は、あの人から様々な事を教わったのだから。

 

 そう、フルスタ様はラティの本質にずっと前から気付いている。そして、それは子供の頃からずとそうだった。

 

——私に……僕に、兄さんを返して。僕は一人でこの国を背負えない!

 

 だからこそ、俺はこの人を蔑ろに出来ないのだ。未だに心の底から尊敬の念を持って「フルスタ様」と敬称で呼んでいる。

 

「ダメだ、今、ラティを外に出したら。俺の手の届かないところに、行ってしまうかもしれない」

 

 昔、ラティが酷く冷酷な目をして言った事があった。

 

—–器のない権力への執着は、余りにもみすぼらしく見える。大国スピルの貴族として、もう少し楚々とした丁寧さも身に着けて欲しいよ。

 

 ラティは昔からそうだ。

 自信の無さそうなそぶりの裏で、その実誰よりも「王族」らしかった。これからの「泰平の世」を担う、アイツは……あの方こそが——。

 

「……これからのスピルの〝剣〟だ」

 

 対照的に、たかが「盾」でしかない、戦しか能の無い俺は平時には無用の長物となる。

 

 それに気づいたラティは、一体どう思うだろう。

 子供の頃から「ケイン、ケイン」とキラキラした瞳で俺を見てくれていたのに、あの目を俺じゃない、もっと別の誰かに取られてしまうかもしれない。

 

「……ラティ、どこだ?」

 

 ジワリと背中に嫌な汗が流れるのを感じつつ、窓から中庭を見渡す。しかし、先ほどからどこを見てもラティの姿はなかった。

 

「……どこに、行った?バラを、見てるんじゃないのか」

 

 俺は妙な胸騒ぎと共に、ラティの部屋を出た。

 

 まさか、ラティが逃げ出すような事は決してないのは分かっている。だって、ラティには俺しか居ない筈なのだ。文通の手紙にも、いつだって「ケイン」の事ばかり書いてあった。それ以外には何もなかった筈だ。

 

「っラティ……!」

 

 しかし、中庭に出てもラティの姿はどこにもない。

 その瞬間、脳裏に前回の「文通相手」に送られた、ラティの最後の手紙の文章が思い出された。

 

≪こんにちは。いつも私の話を聞いてくれてありがとう。

 

そういえば、ずっと私の話ばかりをしていたね。よければ、今度はキミの話を聞かせてくれない?

 

食べ物は何が好き?昼と夜ではどちらが好き?好きな場所はどこ?なんでもいいんだ。私は、君の事が知りたい!教えて!≫

 

 いや、前回だけじゃない。

 ラティはひとしきり相手に俺の話を伝えきると、最後は「あなたの事を教えて?」と無邪気な興味を俺以外に向け始める。

 

 そうなった瞬間、俺は耐えられなくなってラティに「もう手紙は続けられなくなったらしい」と口にしてしまう。その度にラティが悲しそうな表情を浮かべるのを、俺は見て見ぬフリをしてきた。

 

 俺は、どこまでも臆病な卑怯者だ。

 

「ラティ、どこだっ!どこに行ったんだよ……!」

 

 庭園を、まるで迷子になった子供のように走り回る。しかし、金色のバラにうっとり見とれるラティの姿はどこにもない。

 

「……まさか」

 

 俺は庭園の周囲を取り囲む森の入口に目をやった。

 ラティが外に出た?まさか、そんなはずはない。絶対に外には出ないように言ってあるし、そもそもラティ自身が外に出たいとは欠片も思っていない筈だ。

 

 けれど、その瞬間、胸を締めつけるような嫌な予感が膨らみ、気づけば森の木々を抜けて、離宮の敷地を駆け出していた。

 そして、森を抜けた先で、俺の最悪の予感が現実となって目の前に突きつけられた。

 

「ラティと……ショート?」

 

 そこには、ラティと弟のショートが楽しそうに話をしている姿が目に入った。

 

「なんで、二人が一緒に」

 

 何を話しているのかまでは分からない。けれど、ラティがあんな風に無邪気に笑うのを……俺はここ数年で、初めて見た気がした。

 

「……ラティ、ラティ?」

 

 ラティは俺を見る時、いつでもどこか申し訳なさそうな顔をしていた。自分はとんだ無能で、俺の恩情によって生かされているのだ、と。常に後ろめたさを抱いているような目で俺を見る。

 

 そんな事ないのに、生かされているのは俺の方なのに——そう思い、ラティの元に書け出そうとした時だった。

 

「っ!」

 

 ショートの腕がラティの背中に添えられた。ラティもそれに従い歩いて行こうとしている。俺に背を向けて。

 

 目の前が真っ赤になる。

 これは、バーグに攻め込んだ時と似た感覚だ。あの時は、俺の大事なモノが侵された怒りにだった。しかし、今度はどうだ。

 

「っはぁ、っは。ラティ、お前は……俺を、見捨てる、のか」

 

 ラティが俺以外を選んで、外に目を向けてしまうのではいかという……絶望に近い嫉妬心だった。胸の奥が冷たく締め付けられる。置いていかれる恐怖に、ただ感情のまま駆け出した。

 

 ショートは俺なんかよりずっと弱い。頭も悪いし、要領も悪い。でも、いつも俺よりも周囲からは構われていたし、母親も父親も、ショートにはどこか甘かった。

 

——ちぇっ、兄貴ばっかりズリィよなぁ。

 

 どこがだよ。俺ばっかり親父に殴られて。お前はいつだって周囲から愛されていたじゃないか。

 ショートは確かに、俺より弱い。

 

「クソ、クソ……。なんだよ、俺にないモノばっか持ってる癖に。どっちがズリィんだよ」

 

 でも、これからの世の中「強さ」にどれほどの価値があるだろうか。

 

—–でも、ぼぐはっ、フルスタみたいに、立派じゃないから……ケインを、とっ、とられたら、いやだよぉっ……!

 

 幼い頃、フルスタ様に俺を取られたくないと泣いたラティの気持ちに、やっと俺も追いついた。いや——。

 

「ラティ、ラティ……可愛い、俺のラティ」

 

 とっくの昔に、追い越していた。