「ん。やっぱりフルスタは本当に賢いね。あんな些細な数字の違和感だけで、よくおかしいって気付いたよ」
「あ、いえ。その……」
「さすが、大国スピルの王族だ」
それだけ言うと、ラティは心底誇らしげな様子でフルスタ様の頭を撫でた。
「……たまたま。少し、ひらめいただけで」
「〝気付き〟っていうのは、深い知識があってこそだ。フルスタの長年の自己研鑽の積み重ねだよ。本当に立派になったね」
ラティからの明らかな子ども扱いに、フルスタ様が嫌がるそぶりは見せない。むしろ、頬を染めて嬉しそうな様子だ。傍から見ると、成人し合った男兄弟だとは到底思えない。
—–僕に、兄さんを返して。僕は一人でこの国を背負えない!
そんなフルスタ様の姿に、あの時の言葉がようやく現実味を帯びた。当たり前だが、この二人も俺の知らない〝兄弟〟としての時を過ごしていたらしい。
「本題に入ろうか。あの数字の違和感の大元、それはきっとガルヴァン大臣だ」
「ガルヴァン大臣?」
フルスタ様の意外そうな言葉にラティは静かに頷く。
その横顔は、先ほどまで一緒に地図を眺めていた時の弱り切った顔とはまるで一線を画していた。
「でも、兄さん。ガルヴァン大臣の主務は東部の地政公務で、財務とは直接関係がないよ」
「表向きは、ね。ただ、彼の主任地である東部地方には、国内随一のアレン侯の商会がある。市場運営局の局長は金庫院長の信任を受けているから、資金の流れにカルヴァン大臣が手を入れるのは容易だよ」
「待ってよ!でもガルヴァン大臣は先日、大商会に向けた課税法案を提案したばかりだ。そのせいでアレン侯の商会をはじめ、大商人たちの反感を買っている。そんな状況で、アレン侯との癒着なんてあり得ない!」
ラティの言葉に、フルスタ様が普段は見せない勢いで反論する。彼の言い分はもっともだ。カルヴァンの一件が原因で、国内の商会は一斉に貴族や王家への反感を募らせ始めている。
いくらずっと部屋に引きこもっているとは言え、ラティだってさすがに知らないワケでは——。
「っ!」
俺の視線が捉えた先にあったラティの横顔は普段の穏やかさを欠き、どこか鋭いものが潜んでいた。
「フルスタ、いいかい?よく聞くんだ」
「あ、はい」
「人間ってね、とても醜悪なんだよ。金、権力、名声……そう言った者に憑りつかれた者は際限ない欲望を食らう獣になる。けれど、ソレはただの獣じゃない。知恵のある獣だ」
その目には、それまで浮かべていた親しみも、そして温かみも欠片も無い。
「知恵のついた獣ほどやっかいなモノはないよ。裏と表で、まるきり違う言葉を平気で口にする。嫌いなフリ、反発し合っているフリなんて、宮中ではよくある駆け引きの一つだ。カルヴァン大臣を、よおく追ってごらん。あとは、アレン侯の商会の財務諸表と資金の流れをしっかりと見て。キミになら微かな違和感にも気付ける筈だよ」
ソファに腰かけるフルスタ様の前で膝をつき、諭すように語りかけるその姿は、俺の知っているラティとはまるで別人のようだった。
「わかった……でも。兄さん」
「ん?」
「兄さんは、殆ど部屋から出ないのに……どうしてそんな事まで分かるの」
「どうしてって」
フルスタ様のもっともな疑問に、ラティは一瞬目を丸くした。そして、心底意味が分からないといった風に首を傾げる。
「宮中の者の考え方なんて、大抵皆同じようなものだからね。特に、彼は昔から権力とお金に執着が強かったし……とても分かりやすいと思うんだけど」
「わ、分かりやすいかな?」
「うん、とっても」
ラティはコクリと頷くと、心底軽蔑するように息を吐いた。
「まったく、器に合わない我欲ほど見苦しいモノはないね。そんなんだから、僕なんかに心の内をいとも簡単に見抜かれる」
ラティの言葉が室内の空気を支配し、その冷徹な響きに、まるで温度が一段と下がったかのような錯覚を覚えた。
「国家の威信に傷を付けるような〝錆〟は不要だよ。彼にはそろそろスピルの政歴から退場願おうか。ねぇ、フルスタ?」
「……分かった、兄さんの言う通りにする」
「うん、きっと君ならすぐに終わらせられるよ」
”終わらせる”。それは一体、誰の、何を指しているのだろう。考えるだけで肝が冷える。
にもかかわらず、俺の体は妙に高まる熱を抑えきれなくなっていた。ラティが冷たい目をするたびに、体の芯が疼くのを感じる。
今日の昼間、ラティが眺めていたのは〝雲〟ではなく、国家の〝錆〟だったらしい。
「そして、ショート。キミにも一つお願いをしていい?」
「ん、俺?」
「そう、キミにしか出来ない事なんだけど」
ここにきて、ラティがショートの名前を呼んだ。高まった体の熱に、少し毛色の違った熱が加わる。あぁ、コレはよく知ってる。
嫉妬だ。
「なんでしょう?俺、兄貴と違ってだいたいの事は器用にこなせますよ。なんでも言ってください」
ニコリと得意げに微笑むショートに、ラティの表情がパッと明るくなった。
あぁ、うん。死ぬほど腹が立つ。もちろんラティにではない、ショートに、だ。