(11)

 

「あのね、宮中でケインへの不満を、色々な人にそれとなく触れ回って欲しいんだ」

「ふーん。兄貴への不満を、ね。例えばどんな?」

「ど、どんな?あ、えっと。その……出来れば、火杯で殴られたとか、そういう直接的な話じゃなくてね?もっとこう、えっと」

 

 ショートの返事に、ラティは弱り切った表情を浮かべた。それを見て、ショートがわざとらしく「よく分からないなぁ」と首を傾げてみせるものだから、ラティはさらに困り果てた様子だ。

 

「兄貴の、どんな不満を触れ回ったらいいですか?具体的に教えてください」

「ぐ、具体的?」

「はい!」

 

 まったく、ショートのヤツ、完全にラティで遊んでやがる。

 煙草を吸わないラティの部屋には、もちろん火杯なんてものはない。となると、一番手っ取り早いのは俺の拳という事になるが——。

 

「っはは!冗談ですよ」

「っへ」

 

 そう、微かに俺が拳に力を込めた途端、ショートがケラケラと笑い始めた。

 

「ラティ様、大丈夫。分かってますから」

「あっ、えっ?そうなの」

「はい、委細承知いたしました。兄の考えに同調できない、これからのクヌート家を兄には任せておけない……とか、そういう事ですよね?」

 

 こういう所が気に食わないんだ。

 昔からショートは俺と違い引き際を見極めるのが最高に上手い。だからこそ、親父の拳はいつも俺止まりだった。

 

「あ、ちゃんと分かってくれてたんだ。なら、良かった」

 

 何がいいんだよ。全然よくねぇよ。

 ホッとした様子のラティに、さすがに口を挟もうとしたその瞬間、ショートがすかさず声を上げる。

 

「カルヴァン大臣の他に、誰か釣り上げたい人間でも居るんですね?はいはい、任せてくださいよ。兄貴の不満くらい無尽蔵に沸いて出てきますから」

「あ、えっと。それは良かった……?」

「ま。平時の今、軍事でのし上がってきたクヌート家なんて、他貴族からは目の上のたんこぶみたいなモンですからね」

 

 ショートの軽口に、ラティは苦笑いを浮かべる。そして、どう返すべきか迷ったのか、手元に視線を落としてしまった。

 

「待ちなよ、ショート。兄さんはそこまで言ってない」

「でも、事実だ。特に兄貴は、ここ数年見境なく突っ張り過ぎてたからな。我欲の増した貴族を炙り出す為の打たれる〝杭〟に使うにはちょうど良い。ですよね?ラティ様」

「っあ、えと……」

 

 ショートの問いかけに、俯いていたラティの肩が微かに揺れる。俺のせいで、ラティが余計な傷を負おうとしている。

 

「……ショート、そろそろ少し黙れ」

「んーー、兄貴。どうした、さっきからいつもの威勢が無いな?俺に何か言いたいんじゃないか?」

 

 ショートの軽い口調の裏には、完全に俺への皮肉とからかいが混じっていた。

 

「わかってる、全部俺のせいだ」

「へぇ、珍しいな。兄貴が自分の非を認めるなんて」

「……別に」

 

 あぁ、そうだ。分かってるんだよ。俺が暴走して内省をグチャグチャにした結果、国内の政治が混乱していることくらい。そのせいで対外政策もままならない状態だ。

 

「っくそ……」

 

 ショートへの苛立ち、自分への不甲斐なさ――今の俺には、何を言い返す言葉も見つからない。

 

「……この際、打たれる杭にでも何でもなってやるさ」

 

 そう呟いて黙りこくった俺の背中に、ふと優しい掌が触れる。その撫でるような感触に、ほんの少しだけ体が硬直した。

 

「打たせないよ」

 

 ラティが親しみを込めた瞳でこちらを見上げている。

 

「そんな事は絶対に僕がさせない。だから、安心して」

「……ラティ?」

 

 その目は、子供の頃から何一つ変わっていない。

 

「ケイン。大丈夫、僕に任せて」

 

 しかしラティは、俺の腹の中に潜む獣どころか、宮中に巣食う魑魅魍魎すら抱え込もうとしている。

その瞬間、俺はふと、ラティの日記に綴られていた数々の言葉を思い出した。

 

——–

ウィップ?相手の言葉を、決してそのまま鵜呑みにしてはいけないよ。彼らは僕が〝王太子〟だから、そう言うだけなんだ。

——–

 

 そうだ。ラティはいつだって、自分を軽んじる周囲を静かに観察してきた。反撃することも、我欲を吐き出すこともなく、生まれてからずっと、自身の気持ちを日記に書き綴りながら生きてきた。

 

 その結果、ラティの手には誰よりも研ぎ澄まされた刃が握られている。

 

「僕は、キミのためならどこまでも頑張れるよ」

 

 頑張れる──。

 その言葉には、手にした刃で俺に向けられた悪意を容赦なく断ち切る覚悟が込められていた。

 

 体が熱い。そう、俺はラティのこの鋭い目を見るたびに、頭が狂いそうなほど心を奪われてきた。

 ラティは、人の上に立つ事において最も必要な「飴と鞭」を、その手に持っている。

 

「……っは」

 

 もう、限界だ。

 

「なぁ、ラティ。もう二人への話は終わったか?」

「えっと……もうだいたい済んだけど」

 

 コクリと頷くラティに、俺は乱れた呼吸を隠しきれないまま吐き出すように言った。

 

「二人きりに、なりたい」

 

 そう、背筋を駆け抜けるゾクゾクとした感覚に身を委ねて見つめた先には、微かに頬を染めるラティの姿があった。

 その蕩けるような甘ったるい顔ときたら。子供の頃からちっとも変わらない。

 

「……うん」

 

 そろそろ餌の時間だ。甘い飴を貰わないと。